子どもの声を聴く
お招きいただいた応接室に「泰山(たいざん)は土壌を譲らず」という書が飾られていました。「泰山のような立派な山が、どんな小さな土塊(つちくれ)をも受け入れて大きな山となったように、度量の広い人はどんな小さな意見をもよく取り入れて見識を高めていく」との意味だそうです。家臣が主君に、相手を差別せず能く話を聞く事の重要性を訴えた、歴史上の言葉でした。
話は少しそれますが、外来を受診する小さな子どもは、自分で症状を訴えることができません。ぐったりしている理由、泣き続けている理由は様々。だから小児科医は保護者からよく話を聞き、子どもの全身をくまなく見て原因を探り、話す事ができない子どもの声を拾います。
一方で、あざがある子や骨折した子が、ある程度の年齢でも決して理由を話してくれない事があります。子どもが一瞬こちらを見たその目が、すべてを物語っている事もありました。
代理ミュンハウゼン症候群は、保護者が、皆の視線を自分に向けてほしいために子どもを故意に病気にする児童虐待の一種です。その時は保護者の発言を鵜呑みにはできません。私たちは子どもを真正面から見てあげるしかないのです。
原因がわからず亡くなった子どもの死因を可能な限り検証して再発を防ぐ「子どもの死亡検証」は、子どもの声なき声を拾う究極の作業、辛いけれども大切な取り組みです。
子どもには生まれた時から権利があります。年齢によってその権利の発信の仕方は違いますが、どんな小さな声も、声なき声も、拾っていくことが子どもの権利擁護の第一歩だと思います。
(西﨑)
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